2011年6月29日水曜日

情報収集の変化から見えるfacebookの可能性について

先日投稿したエントリー「そういえば情報収集の方法が変わって来てた。」 が思った以上に反応がありました。コメントもたくさん頂きましてありがとうございます。「いいね!」も初めてたくさんもらえてとっても嬉しいです。

で、そのエントリー内容をまとめると、私の中での情報収集は これまでウェブサイトやRSSに「取りに行く」という行動だったものがTwitter→Facebookと流れ着き、徐々に「そこに流れているものの中から気になったものだけを取る」という流しそうめん的な情報取得の方法に変わってきた。というもの。「流しそうめん」という表現をもうちょっと賢そうな言い方に変えた方が良いんじゃないかとかはこの際いいじゃないか。
で、これは私の話だけでなく、ソーシャルメディアがもっと一般化(利用者が増大)すると、もっとたくさんの人がこういった行動に変わってくるんじゃないか。しかも限りなく自然に。とか、それをFacebookをはじめとしたソーシャルメディアが本当に世の中を変えていくんじゃないかと思ったわけで。今回は前回にひきつづき、情報収集から感じた変化の可能性についてなんとなくまとめてみようかと。

顕在化していないと使えない検索
えーと、あれなんやったかいな・・。
Googleをはじめとした検索エンジンは、ネット上に存在する膨大な数のコンテンツとコンテンツの関係性を「リンク」とかすっごいアルゴリズムによって、検索したキーワードに対してより最適な答え(あなたが探してるコンテンツはここですよー)、という案内をする、いわば百貨店の受付嬢のようなもの。

それはつまり、質問内容が具体的(顕在化)しているからこそ利用出来るのですが、「あー、あれなんやったかいなー。。えーと、あれやあれ、あれ?なんやったっけ・・・。」という具合の、探しているものが具体的になっていない状態で質問なんかしちゃった日にはもれなく怪訝な顔をされるだけだったり(本当は超手厚い対応をしてくれると思うんだけれど。)
質問内容が顕在化していたとしても、自分での言い方と一般的な言い方が違うかもしれない。または一般的な言葉だったとしても、その検索に対する「答え」が膨大で結局自分が求めている答えにたどりつけなかったり。

それらに対する問題解決の方法として「もしかして○○?」や似たようなものを検索結果に表示させたりするような先読みの仕組みはキーボードやマウスの動きからしか察知できず、「ディスプレイの向こう側」にいる私の気持ちまで読み取る事は残念ながら今のところできそうにない。

レコメンドエンジン(いわゆるおすすめ機能)の限界
自信を持っておすすめされる感じ
Amazonや楽天といった大手のオンラインショップで導入されているレコメンドエンジン。
「あ、この人AKBばっかり検索してるなー」といった検索動向や「あなたが興味津々なAKB関連の商品を買ってる人はこんな商品買ってますよ~」といった趣向分析、またはモール内での自分の購買履歴や行動履歴から「あなたが欲しいのはAKBのコレですね?」とおすすめしてくれる機能。いや決してAKB好きというわけではないのですがなんとなく。
ただ、このレコメンドエンジンは上記のような行動分析によって導き出したものであり、当然ながら検索エンジン同様に私の気持ちや本当の趣向を知った上でのレコメンドではない。なので若干おせっかい的なオススメをしてくれる事もあるわけで。


クチコミやレビューといった第三者意見の信頼度が変化
ニールセンの調査資料
ループス・コミュニケーションズ 斉藤徹氏のスライドより抜粋
ループス・コミュニケーションズの斉藤徹氏がシェアされているスライド
[機関講演]ソーシャルシフト ~企業と生活者の新しいコミュニケーションのカタチ Ver2.0.0
のスライド中にあった、ニールセンの調査資料。さまざまな情報源の中から何を一番信用するか。「友人の推薦」が90%、「商品レビュー」と「ブランドサイト」は70%と続く。

一時期異常に流行ったアフィリエイトやレビューといった口コミは、これまで企業が一方的にしか発信しなかった(できなかった)情報に対して、一般の人達が「第三者」として商品やサービスに対して評価をするためにその意見に対して「信頼」ができた。しかし一種の「副業」的な流れからアフィリエイトは一般の生活者から見ると(一部を除いて)ほぼ広告近いものになってしまったんじゃないかな、と。何かしらのインセンティブが発生するレコメンドやレビューにはよからぬバイアスが掛かってしまうのは世の常。
参考:86.7% の人は知らない人が書いた提灯ブログを信用しない|住 太陽のブログ


友人・知人という信頼できる人からの情報が
自然と集まる場所=Facebook

出典:clevelandseniors.com
それに対して友人からの薦めというのは、対象となる「私」の事を知った上でのお薦めだったり、ただ単純に「共有したい」「知らせてあげたい」という情報で、そこにあるのは損得を排除した単純な「親切心」であり、だからこそ信頼できるわけで。とか改めて書いてみるとすっごく当たり前すぎる話でビックリしますね・・・。

その友人や情報源と「いいね!」によって繋がり、インフラとしての普段使いの中で自分にとって有益な情報が流れてくる場所がソーシャルメディアになる。それがFacebookなのかTwitterなのかmixiなのかGREEなのかは人によって違うと思うけど、今はFacebookがそれを実現するんじゃないかという事。その中心となる仕組みがエッジランクなのかな、と。
自分が普段使っているコミュニケーションインフラの中で、自分がよく見るニュースやトピックスが極めて自然な形で上がってくるとすれば、その時点でYahoo!のトップニュースを見る必要はなくなる。
逆に繋がっているけどあまりコミュニケーションを取らない人、一応ファンにはなったけれども投稿内容がいまいちパッとしなくて「いいね!」も押さず、結果としてニュースフィードから表示されなくなるFacebookページ。まるで一夏の恋の自然消滅のようですね。違いますかね。
この辺の「初回の顔合わせ」 から「関係作り」への話はまた別の機会に。

今回は情報収集という起点からソーシャルメディア(とりあえず今はFacebook)の可能性について考えてみました。全てがそのようになるわけではないにせよ、どうやらソーシャルメディアを中心に大きく世の中の動きが変わりつつある、というのはなんとなくまとまったかな。
この辺のお話は【書籍】グランズウェル ソーシャルテクノロジーによる企業戦略にも書かれているので、お時間があればぜひ。