2010年10月22日金曜日

体験するということ

私が思うに体験とゆーのは、身体の感覚機関全てで行う視覚・聴覚・嗅覚・触覚のインプットを元に解決への答えを思考し、それを実行して得たフィードバックを元に、より最適解を導く一連の作業の事であり、すなわち自らの体をもって経験・思考・発想・実行することこそが重要であり、それが「肚に落とす」ってことなのだ。

座学はそのプロセスで重要な「発想」を削ぎ落として効率的に知識として経験させる事であり、もちろんそれは私が思う体験ではない。座学で得た知識を実際に自分でやってみる。そこで初めて思考と発想のプロセスが生まれ、「体験」する事になる。自分ならどうするだろう、と。
「やった人間にしか分からない」とかゆーのはつまりそういう事じゃないだろうか。

最近、同じ部署の26歳の実家暮らし君に一人暮らしを強く勧めている。そりゃもぉしつこいぐらいに。当の本人は「やってみようかな。。いやでも・・・」と曖昧な回答を繰り返している。実行するのかどうかは分からないが、あの感じだと多分しないだろう。

で、なんでそんなに一人暮らしを勧めてるのかを分解してみると、20代後半のオトコが実家暮らしとゆー設定も若干マザコンを疑われそうな気がするのもあるけど、それより自分が体験した一人暮らしでの思考と発想の経験を彼にも体験してもらいたいからじゃないだろうかと良いように考えてみた。
少なくともその彼は頭がいい。情報とヒントを与えた時の咀嚼スピードが自分に比べるとはるかに高い。多分一人暮らしをするという選択肢を与えた時に考えられる様々な現象を彼はすぐにシミュレートしてしまうんだと思う。私なんかはその辺がさっぱり見えない人間なので「ウホッ♥」ってなって「ウキーッ」って行って「アキャー!」ってなるタイプ。よく分かんないねゴメンね。

ということはだな、本当は彼に体験して欲しい事は「一人暮らし」ではなく、未体験の現象(今回の場合は一人暮らし)を経験する事でより多くの新しい発想の発見をしてもらう事だとしたら、やたら必死に勧めた自分の行動の理由とかも含めて色々腑に落ちる。そういうことか。あースッキリした。食器洗って寝よ。