2010年1月17日日曜日

[雑感]コミュニケーションのニーズ

履歴をたどってみると、私のTwitterは2008年の4月から始めてるようで。とりあえず「面白いらしい」と始めた当初は何が面白いのかさっぱりわからず、そのときは携帯もiPhoneじゃなかったからReTweetもなく、フォローもフォロワーも少ないのでコミュニケーションも無く、そもそも「フォローって何よ?」てな具合。その時やってたソーシャルメディアはmixiぐらいだったし、MySpaceも一応登録してるけど全然使ってなかった。「フォロー」が理解できなかったのはそのせいもあったのかも。その時のTwitterの使い方は、思いついた事とかぼやきを壷に向かって叫んでる感じ。まぁ今とそんな変わんないか。。まぁ今よりもっと一方通行というか、完全に「独り言」だったわけで。

Twitterの使い方が激変したのは去年の9月にiPhoneに乗り換えてから。その時は数十ほどだったフォローも今は200程になってフォロワーも増えた。別に多けりゃいいってものでもないし目的はそこじゃないから数はどうでもいいか。

使い方が変わったのは、まず一方通行だった独り言だけだったのが業界での先端の人をフォローした事でかなりスピード感のある情報収集ツールとして使えるようになった事。ただ、Twitterはリアルタイムなツールなので占有される時間も多くなっちゃったのは見直すべき点だけど。
もうひとつはTwitterによってコミュニケーションの幅が少し広がった事。今回の話で言いたいのはここ。Twitter飲み会とかのオフ会等に参加したりっていう新しい繋がりもあるけど、それより以外と身近な人とのコミュニケーションが少し広がった事。身近な人との繋がりを再認識できたというか、より強く構築できていってるというか。非喫煙者の自分にとってツイッターが憧れの喫煙所コミュニケーションに近い感じになって来た感じかな。

喫煙所のコミュニケーションって独特のものがあって(あくまでイメージだけど)、「タバコ」っていうのを中心に部署・役職関係なくフランクに話ができたりしてる(っていう勝手な想像)。ちょっとした「何か」をきっかけにしないと人間同士のコミュニケーションが始まらないってのも何だかなぁと思いつつ、けどまぁ人間ってそんなもんだよきっと。

昔はそんなの無くても繋がったりしてたのかもしれないけど、時代とともにみんな奥手になっちゃって、そんなTwitterとかタバコとか何かしらツールをきっかけにコミュニケーションが始まったりする。同じ会社でも仕事で絡みが無かった人とTwitterでできたきっかけの繋がりからコミュニケーションがとれたり。

人間って一人じゃ生きていけなくて、大げさに言うと生きて行く事を楽しくしてくれるコミュニケーションは常に求めてる。つまりコミュニケーションのニーズは常にあるわけで。そこは時代に左右されるものでなく普遍的なものだから、そういう繋がりを作れるようになりたいな、と。
ネットっていうツールはそういうコミュニケーションが作れるっていう面白さをわかりやすく言語化しつつ実践できるようになろう。まぁとりあえずその実践の後ろに隠れてるネットの文化の変遷も理解してもらわなくちゃいけない現実は今日はおいといて寝よう。もぉ3時過ぎてるし。。