2009年8月21日金曜日

[雑文]とりとめがなさすぎる文につき

相変わらずブログの更新がノコノコです。こんばんわ。
密かにサイドバーにTwitterを復活。インプットは相変わらずこそこそやってます。仕事中に。アウトプットしなくてすみませんの気持ちを混めてはてブもいれました。
まぁ相変わらずウェブサイトの紹介(感想)を書く気がしないのは先日のエントリーの通りでして、仕事として求めるべきものと表現として求めたものとの乖離についての悶々は相変わらず抱きつつ、けどちょっとだけ向かうべき方向というか、やってみようと思う方向が見えた気がするので久々にエントリー。

なんかまとめようと思ったけどまとまんないので垂れ流します。
先週子供が産まれた。娘。ひょんな事から他部署の同世代の面々と飲みに行った時の場が激面白かった。官僚達の夏は絶対見るから話に寄して。動かそうとしている面白そうなプロジェクトが3つほどあって、それをどうやって上手く進めたら良いか。自分がちょこっと考えてみたアイデアをどうやって相手に伝えれば良いか。自分以外の人間をどうやって巻き込めば良いか。過去に、同じように盛り上がったけど失敗したプロジェクトの要因は何だったのか。子供はいつ退院できそうか。PS3薄くなったなぁ。欲しいけど龍が如く意外やりたいゲームが無い。あ、ゲーム送らなきゃ。カッコいいお父さんにならなきゃ。腹だけ40代やし。娘には将来「パパ以上の男」を探してほしいからって気が早すぎるか。ふと浮かんだ「忘却曲線」ってキーワード。教えてくれた物理の先生元気かな。忘却曲線は五感の使用量によって下がる角度が緩やかになると思った。だから簡単に「教えて」と言った人に対して一所懸命かいつまんで説明しても「簡単に耳からだけの体験やしあっという間に忘れるやろ」と思うから自分の体で覚えなさいと言いたくなっていた理由はそこかか言語化できてちょっとすっきりした。記憶力のいい人は、耳だけを使っているようで擬似的に五感を使用して体験するから記憶してるのだ。というすっげー思いつきの仮説。世の中に無駄な事は無い。たとえそれが「必要がない」ものだとしても、「必要がない」事を教えてくれた事に意味があると思えばというパラドックスなのか屁理屈なのか。とりあえず思い込みは発想を殺しちゃうよねって。クライアントに伝えるすべき一番大事な事は、完成形のプレゼンよりも完成形へ向かうプロセスを共有しましょって事。目標はそこから生み出されるべき。そのために必要な営業的視点と動き方。目。手。眉。空気の読み方。切り返し。崩しから技をかけるタイミング。最終目的と一番伝えたい事、理解してほしい事を事前に持ってから挑む。何話してんのかわかんなくなってきたらそれを思い出す。理想論だけど、実践してからどこまでが理想か見極めて現実と折り合いをつける。

前半戦は実践と検証。うまくいけばもう一歩先が見えるかな。
もうちょっと整理できたらまた書く。できるんかいな。

とりあえず明日は娘と嫁に会いにいくんで始発に乗るから寝る。