2011年11月16日水曜日

「幸せ」の軸を整理して自分の歩きたい道を少し考えてみる

なんか経済界でお祭りがあったりなかったりで、ふと「働く」という事はどういう事なんだろう、と考えたくなったので整理がてら書いてみた。ちなみに私も企業人。


ソーシャルだとかコワーキングから見える社会の変化
2009年のTwitterから始まり、この3年くらい日本でもソーシャルメディアの利用者増え、企業Webマーケティングの領域においても、広告と違った可能性への試みとしてその活用がお盛ん。カンヌでも「広告」って文字が消えちゃったり。

先日発売されたループス・コミュニケーションズの斉藤 徹氏の書籍「ソーシャルシフト」のお話(まだ全部読んでないけど)や、企業のソーシャルシフト化が進むにつれて変わる情報統制(参考記事:オーケストラ型組織からジャズ型組織の時代へ|京井良彦の3分間ビジネス・スクール)、この半年ほどでちょくちょく顔を出させていただいているコワーキングで感じる「働き方」そのものの変化。

企業で働く事。フリーランスで働く人。括りはそれだけじゃないんだろうけれど、どうやら古くから日本に根付いていた「働く=企業に勤める」という考え方は、少しずつほぐれてきているように見受けられます。少なくとも私の眼鏡越しには。



そもそも「労働」と「仕事」は意味が違う
わからんことは辞書で聞く。はいgoo辞書。
要約すると、
「労働」というのは体や頭を使って働くこと。つまり行動そのもの。「仕事」というのは社会に対して何かしらを生み出すこと。概念的なものと言えるかな。
この二つは似ているようで全く似つかないってことですね。言葉の意味は重要。

自分が毎日していることは「労働」なのか「仕事」なのか。
自分は社会に対してどんな「仕事」を成そうとしているのか。
自分の「労働」の積み重ねは、どのような「仕事」に繋がるのか。

なんとなくだけど、その考え方を具体的にするためには「社会」を考える必要がある気がして。



社会に対してあたえる影響度が「幸せ」の尺度?
人は何かしらの社会に良いコトをする行為に喜びを感じる生き物。
そもそも対称となる「社会」は何かというと、小さい規模だと「家庭」や「家族」や「友人」や「趣味友達」とか。大きくなると「会社」や「組織」や「地域」や「国」とか。
 
自分にとっての価値観の起点がどこにあるかが「幸せ」の尺度を図る近道になるのかもしれない。しかしそれはひとつではなく、たくさんの「社会」に人は繋がってる。Facebookやmixiでたとえるなら、たくさんのグループやコミュニティに属している。Facebookグループの一つも「社会」。


自分から繋がるそれらの小さな社会を洗い出してマッピングし、どの範囲が自分にとって軸となるのかを考える。どの「社会」に対して影響を与える事が自分にとって幸せを感じられるか。もちろん時間と共に考え方と一緒に変化もするだろうけれど。

だけど、それを整理するとなんとなく仕事をする意味と未来について少し見えてくる気がします。